2022.02.13|その他
200年続く農家の孫を大事にしてくれた祖父
こんにちは。
熊本の最高においしいトマト農家、梶原耕藝です。
「おい、甲亮。腰が痛いけん、もんでくれ」
「おい、甲亮。調子はどぎゃんかい」
生前は「おい、甲亮」が口グセだった祖父。
入院して寝たきりになるまでは、家の中でいつも自分に話しかけてくれた。
「おい、甲亮。農業してみらんかい」
学生だった頃、祖父からそう言われたことが何度もあったけど、農業を継ぐ気がなかった私は、
「うーん、そうねぇ・・・」
と話をはぐらかしてばかりいた。
公務員になってからは、
「おい、甲亮。仕事は頑張っとるかい」
サラリーマンとして働いていた自分の体調をいつも気遣ってくれた。
200年続く農家の長男でありながら、地元を離れて公務員として暮らすことを選択した自分のことを、さびしく見つめていたのだろう。
「うちの農家の代もこれで終わりか・・・」
祖父が大好きな酒を飲みながら、ポツリとつぶやいたことを聞き逃さなかった。
祖母が若くして亡くなってからは、酒の量が多くなり、体調を崩し、家の中でも孤立していった祖父。
家族のいうことを聞こうとしない祖父を、うとましく思っていた時期もあった。
それでも、私が言うことだけは聞いてくれたのは、きっと孫がかわいかったからだろう。
私が帰ってきて農業を継いだことを、病院で寝たきりだった祖父は、理解することができなかった。
理解できていたら、きっと喜んでくれたはずだ。
最期の2年間、父や母たちに看病されながら旅立っていった祖父は、きっと幸せな人生だった・・・。
そう信じている。
89歳で亡くなってから、今年で4年目。
今ふりかえれば、農業に没頭するよりも、好きな時間に仕事を切り上げ、好きなことに時間を使い、好きな孫のことを大事にしてくれた祖父に感謝しています。
農業は大事だけど、一度きりの人生、やりたいこともあきらめたくないと考えるようになったのは、きっと祖父に似ているのかもしれません。

梶原耕藝 代表梶原甲亮(かじわらこうすけ)
1976年生まれ(43歳)。熊本県山都町在住。代々続く農家の7代目。九州大学法学部政治学科を卒業して熊本県庁に就職。子供が生まれ、食への関心が高まると共に「安心安全な食べ物を届けたい」「農業を夢のある仕事にしたい」という想いでUターン。現在、3兄弟の父親として日々学びながら農業を取り組んでいます!
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