梶原耕藝

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2021.01.23|その他

就農して最大の試練、現る

私が公務員を辞めて就農してから5年経たないくらいですが、ここにきて最大の試練が突然現れました。

新しい年が明けた今月8日のこと。

その日まで連日のように雪が降っていました。降っては解けを繰り返しながら、固く凍りついた雪のせいで、畑仕事はなかなか進められません。

そんな時は格好のデスクワークの日なので、朝からPCに向き合っていました。

一方、父はじっとしていられない性格なので、こんな日も外に出て仕事を探します。

私の自宅の前には、大工だった先祖が建てた築100年の大きな納屋があります。

私が小さい頃は牛を飼っていたので元々は牛舎だったのですが、今は作業用の納屋として使っています。

牛舎の2階はワラを貯蔵するために使われていたので、湿気が貯まらないように床板を張らずに竹が敷いてあるのは、昔の牛舎によく見られる構造です。

現在の2階は昔の農具やらいろんな物が置かれていたので、父は日中からそれを片付けていました。

私も多少手伝いましたが、どちらかと言うと高い所は苦手で、竹と竹の間からは地面が透けて見えてるし、父に任せることにしました。

雪雲が空を包むせいで、いつもより早く日が暮れだしましたが、父はまだ片付けを止めません。

周りが言っても聞かない性格なのは家族一同わかっているので、本人が気の済むまでやらせるしかありません。

自宅でPCに向かっていたところ、突然、私の携帯に父から着信がありました。

「すぐ近くにいるんだから言いに来ればいいのに」そう思いながら電話に出ました。

「・・おい、2階から転落したぞ・・・」

父のその言葉を聞いた瞬間、大きな不安を感じました。

急いで駆けつけると、地面にうずくまる父の姿。

全く動けそうにないその姿は、ただ事ではないことが起きたことを知らせてくれます。

2.5mほどの高さにある納屋の天井を見ると、竹の間が大きく開き、そこから農具が今にも落ちそうに顔を覗かせています。折れている竹も見えます。

きっと歩いている際に竹が折れて、その隙間から1階まで転落したのでしょう。

しかも、不幸なことに、つい1月ほど前に納屋の床にコンクリートを打ったばかりです。

「この高さなら、落ち方が悪ければ骨折は免れない」

瞬時にそう理解しました。

外はもうすっかり暗くなり、道路の雪も固く凍り始めています。「とにかく早く病院に行こう」そう言って私が車を出す準備をしていましたが、脚が全く動かせない父を見て、救急車を呼ぶことにしました。

熊本市内の済生会病院での診断は「骨盤および寛骨臼骨折」。

かなりの重傷です。

特に、寛骨臼(かんこつきゅう)という骨は、骨盤側にあって大腿骨の受け皿となる骨で、股関節を動かすために大事な役割を果たします。

手術からリハビリまで含めて数か月以上。リハビリしだいでは最悪の場合、車椅子になる可能性もあるとのこと。

さて、こいつは困った・・・

父が少なくとも当分の間は仕事復帰できないとなると、今後の経営計画に大きな支障が出てきます。

これからは、力仕事や高所作業はもちろんのこと、作業の多くを一人でこなさなければならず、人手が足りなくなる場面が多く出てくるのは間違いない。

家族経営の農家は、従業員がすべて家族なので余計な気を遣うこともありませんし、仕事内容も熟知している者どうしなので仕事もやり易い。

でも、今回のような事故やあるいは病気などによって家族が働けなくなったら・・・途端に労働力が足りなくなって、規模や栽培品目、作付時期などの見直しが迫られることになります。

そして、子が後継者として農業を継がなければ、廃業に直結してしまう。

これらは家族経営のデメリットです。

私はこう考えました。

今回の事故は、我が家が新しい経営に変わるためのターニングポイントだと。

いずれは家族経営という形から雇用型に移行しなければならないだろうと、以前から思っていました。

先日、父の5時間に及ぶ手術が行われました。幸い手術は成功しましたが、これから長いリハビリの日々が続きます。

回復したとしてもこれまでのように仕事をこなすことはできないでしょう。

というより、高齢の両親にいつまでも同じだけの仕事量を期待するわけにはいかない。

急ではあったけど来るべき時が来た、ということです。

ピンチをチャンスに変える。

今回の事故は、新たな経営の形に移行するためのきっかけであったとポジティブに考えています。

梶原耕藝 代表梶原甲亮(かじわらこうすけ)

1976年生まれ(43歳)。熊本県山都町在住。代々続く農家の7代目。九州大学法学部政治学科を卒業して熊本県庁に就職。子供が生まれ、食への関心が高まると共に「安心安全な食べ物を届けたい」「農業を夢のある仕事にしたい」という想いでUターン。現在、3兄弟の父親として日々学びながら農業を取り組んでいます!

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